タルパwikiみた

今日別の記事を書こうと思っていたけど、久々にタルパwikiをみたら凄いことになってるのを知って内容が全部飛んでしまった笑

 

私には難しくてちゃんと理解はできなかったけど、なんとなくタルパ界隈の現状や問題点を知る事は出来たと思ってます。

居心地のいい場所にしたい、タルパ・タルパーにとって有意義な界隈にしたいと思ってるのは一緒なのに、それぞれ考え方が違うというのは面白くもあり怖くもあるなと感じました。

 

食い違っていたり筋が通っていない意見でも、元々はそんなつもりじゃなかったのになにかの拍子でズレちゃっただけかもしれません。

そんな時に素直に自分の非を認められなくて大事になってしまう場合もあると思います。

 

素直にごめんなさい出来るかどうかって、本人が元々持っていた性格よりも、どんな環境で育ってきたが大きいと私は思います。

もし、自分のタルパが謝れない子に育ったら…そう考えると怖いです。

 

それよりもっと怖いのが、自分の非に気付かない事だと思います。今回の騒動でも人を批判しているにもかかわらず、自分も同じような行動をとっているコメントも見受けられました。

人の振り見て我が振り直せじゃないですが、このブログでも私が書いた言葉で無自覚に人を傷つけているかもしれないと考えたら、以前よりもっと気を引き締めなければならないと感じました。

 

だからといって、個人の意見を抑圧しなければならないかと言えばそんな事はないので、バランスの見極めが重要ですね。

 

それともう一つ感じたのが、ネットで言われているタルパってどうやって生まれていったのか、wikiは誰が書いたのかというコメントにハッとさせられました。

今まで散々ネットの情報は鵜呑みにしないようにとブログに書いてきたのに、wikiの情報は疑わずに受け入れていた事に気付きました。

 

タルパはここ数十年でできた新しい概念であり、文化というものはその時代に生きる人達が作り上げていくものだと気付かされました。

そう思うと、新規で、他ルパーさんとも積極的に関わらない私でも他人事では無いように感じてきます。

 

そして、ネットによる議論ってものすごく難しいものだとわかりました。タルパ界隈にいる全員が納得する方法なんてほぼ不可能ですし、だからといって少数派を抑圧する訳にはいきません。

 

議論を円滑に進めるには進行役が重要になってきますが、顔が見えない、匿名であるネットで信用できる人物を探す方が難しいです。

顔も本名もわかって、演説で実際に見て投票した政治家でも不祥事を起こす人だったりする世の中ですしね。

 

いつも通りブログを書きながら自分の考えをまとめているので読みにくい文章だったかもしれませんが、ご了承ください。

 

何が言いたかったかというと…タルパーさんは今回起こった事をしっかりと受け止め、自分で考えた上で今後自分はどうしていくかを決めるのが大切なんじゃ無いかと私は思いました。

興味ないなと思っていた方も、いい機会ですし、自分が関わっている存在は何なのかを考えてみるといいのかもしれません。

 

自分は名称にこだわらない!言葉やタルパという括りは人に伝えるための記号だからそんなのどうでもいい!!というのも一つの考えですし、答えが出ないのも一つの答えだと思います。